作品の物語
志野と瀬戸黒が生まれた桃山の茶の湯から、土と炎、そして作家まで。八つの話です。

戦と静寂のあいだで
16世紀末〜17世紀初頭、戦国の世。剣が国を動かす一方で、茶室ではもう一つの交渉の場が開かれていました。武将たちは器を手に、静けさの中で心を探り合っていたのです。
この時代、茶の湯は武家文化と強く結びつき、美濃では志野・瀬戸黒・織部といった茶陶が次々に花開きました。静謐な茶室は、権力や利害が交錯する時代においても、人と人が向き合うための場でした。文化は、権力の武器でもありました。

侘び寂び ── 不完全の美
華やかさではなく、余白や揺らぎに宿る美しさ。千利休が茶の湯に吹き込んだこの感性は、使い込まれた木肌や釉のむら、炎の痕、散る桜や苔むす石、磨り減った木の柱──時の痕跡を愛でる日本独自の美意識です。器にも、その心は静かに息づいています。

礼に始まり、礼に終わる
日本には古くから「礼に始まり、礼に終わる」という所作の心得があります。
相手はもちろん、自然や火、土といったあらゆる存在に対して敬意と感謝を持つ姿勢です。
茶の湯でも、器を手に取るときや茶室に入るとき、まずは礼から始まります。
この精神は侘び寂びの根を支え、作り手の手仕事にも脈々と受け継がれてきました。


志野 ── 七日の窯が描く景色
志野は、美濃で16世紀末に生まれた焼き物です。白い釉を本格的に用いた、日本で最初の焼き物と言われています。
桃山時代のわずかな期間に作られ、やがて途絶えたその器は、厚く掛けた長石釉が生む乳白に、発色が難しいとされる火色がにじみます。
多くの焼き物が1日で終える焼成を、志野は火を入れてから冷めるまで七日。
火を焚くあいだは昼夜を問わず、火の機嫌を見極め、わずかな温度差と戦い続けます。
仕上がりは季節や湿度にも左右され、一瞬たりとも気を抜けない繊細さを持っています。
志野の色は「雪解けで見える土」のような、「雲と夕陽から成る美しい夕焼け」のような印象を残します。
一切の思惑や意図が介在していない自然の刹那の美しさを切り取り、表現している志野は、今も昔も人々の心を魅了しています。


瀬戸黒 ── 蘇る漆黒
450年ほど前、日本で黒は高貴な色とされていました。しかし当時、深い黒を安定して生み出すのは難しい技術でした。美濃の先人たちは、この地でしか採れない土と釉薬の組み合わせで、ついに漆黒を実現します。やがて時代の流れとともに瀬戸黒は姿を消し、その制作期間はわずか30年ほどと伝えられます。
そして、この瀬戸黒を唯一無二の存在にしているのが、高温の窯から赤熱した器を引き出し急冷する「引き出し黒」の技法です。通常は、土と釉薬の熱収縮の差によって急冷に耐えられず、ひび割れが生じますが、美濃の素材はこれに耐え、貫入音を響かせながら漆黒が定着します。この黒は抹茶の緑を最も美しく引き立て、茶の湯で特別視されてきました。
後世の職人たちは、わずかな陶片と記録を頼りに幾度も窯を焚き、失敗を重ね、ついにこの途絶えた技を現代に蘇らせました。


百草土 ── 器の命
志野と瀬戸黒の原料となる百草(もぐさ)土は、地層や鉱脈が限られた希少土で、手に入れづらく、この土から生まれる器は、やがて幻となる運命を背負っています。美濃地方で採れるこの土は世界でも稀な性質を持ち、何万年にもわたり火山活動や雨によって変化を続けてきました。山に囲まれた地形が、この地域特有の特殊な土を生み出したのです。
百草土はわずかな鉄分を含み、志野では火色を引き出し、瀬戸黒では急冷に耐える素地として漆黒を支えます。粒が粗く、細かな空気を多く含むため、焼き上がり後も手になじむ温かさと柔らかさが残ります。見た目の重厚さに反して軽やかで、使うほどにその心地よさを実感できます。山肌を削るとようやく現れる白い層は厚さ数十センチしかなく、横にも奥にも長くは続きません。一つの場所で採れる量は、わずかしかありません。


作家 ── 四十年の道
陶芸家・加藤尊也。作陶四十年以上。その前半の二十年を土と技法の探究に費やし、その基盤の上で表現を磨き続けてきました。
志野は火を入れてから冷めるまで七日に及ぶ焼成、瀬戸黒は専用の窯で、一窯から一つ、納得のいく器が出れば良しという仕事です。一部作品では、100年前に使われていた手回しろくろを再現し、自然な土の伸びから生まれる揺らぎを器に表現しています。
効率や歩留まりとは無縁な世界で、時間と手間を惜しまず土と向き合うからこそ生まれる唯一無二の景色です。妥協の先に、本当に手に取ってもらえる器は生まれないのです。
あなたの手で、物語は完成する
器は飾るだけのものではありません。重み、口当たり、温度。
五感で味わうたびに、450年の物語が、あなたの手の中で続いていきます。


























